City of Dreams 夢の街

Last spring whilst visiting Melbourne for a conference, I took a day out to visit Geelong with the view to explore the city that where the owner of the photographs I bought in Daylesford had once lived. Earlier, I had contacted Michael, my friend from high school days when we both studied at the American School in Japan. He later became a journalist, and coincidentally wrote for the Australian Financial Review in Melbourne at the same time I was photographing for the same paper in Sydney. Michael also happened to be the only person I knew in Geelong.

In reply to my email, Michael wrote, “I know Jenny would enjoy meeting you and we could give you a tour of the City of Dreams, incorporating lunch along the way.”

City of Dreams?

Michael and his partner Jenny came to the train station, and in their car, we visited several art galleries and exhibition spaces, looking for a suitable place where I could perhaps show the found photographs, and enlist the help of the community in Geelong to answer some of the questions which kept surfacing.

Who are the people in the photographs? What were these photographs doing in Geelong? Why did the deceased have them in his or her possession? Was he or she the photographer, a collector of old photographs, or a family member of the people in the photographs? Was the deceased Japanese? Living in Geelong? Why were there no photographs taken in Australia? How could we locate the people in the photographs or the photographer/s and their descendants? Should they be returned to someone in Japan? Or in Geelong? What if they didn’t want them? Should items lost or forgotten be left alone? What would the outcome be if the processes of asking and answering these questions involved many people?

With Michael Cave in Geelong マイケルとジーロングにて 2019

仕事でメルボルンを 訪れる機会があった去年の春、滞在を1日延ばし、隣町のジーロングを尋ねてみることにした。ポートフィリップ湾の向こう岸に観えるジーロングの街は以前蚤の市でみつけた数多くの日本人の写真の持ち主が亡くなった 場所である。

事前にジーロングに住む高校時代の幼馴染、マイケルに連絡をとり、相談にのってもらっていた。マイケルとは子供の頃から日本で通っていたアメリカンスクールの高校時代に知り合った。その頃の同級生は殆どアメリカに進学し、その後の接点がなくなっていたが、 シドニーで ファイナンシャル・レビュー紙で写真を撮っていた頃、偶然にもマイケルはメルボルンで同じ新聞のジャーナリストとして勤めていたこともあり、必然的に長い付合いになっていた。

『ジェニーはあなたに会えたら喜ぶだろう。 途中にランチをはさんでシティ・オブ・ドリームス(夢の街)を案内するよ。』とマイケルからメールの返信が届いていた。

夢の街?

マイケルとパートナーのジェニーは車で駅まで迎えに来てくれた。ジーロングの地形がわかるようにと、海辺の繁華街やお洒落な住宅街を一先ず案内してくれた後、 いくつかのアートギャラリーや公共スペースを訪れ、偶然にも目元にとまった、日本人の写真を展示出来るような場所を探した。展示会を通し、これらの写真に対して浮上し続ける不可解な疑問をジーロングのコミュニティに協力を求めながら解いていきたいという思いがあった。

写真に写っている人たちはいったい誰なのか。写真はなぜ日本を遠く離れたジーロングにあったのだろうか。ジーロングで写真を残して亡くなった方はいったい誰だったのか。なぜ数多くの日本人の写真を 持っていたのか。ジーロングに住んでいた日本人だったのかもしれない。もしそうだとしても、コレクションのなかになぜオーストラリアで撮影をした写真が一枚もなかったのだろう。故人は写っている人たちの家族だったのか、それとも 写真家だったのか。 遺品を相続した人はその写真をなぜ手放したのだろう。単なる古い写真のコレクターだったに過ぎないのか。

写真の中の人や写真家の子孫を探し出し、返却することは可能だろうか。著作権の持ち主を探すことは出来るだろうか。それともジーロングのどこかにアーカイブ出来るだろうか。もし欲しくないと言われたらどうしよう。忘れられ、失われた遺品や記憶はそのままそっとしておく方がいいのだろうか。そして、これらの疑問を 自分だけではなく多くの人が一緒に考えるとすると、そのプロセスや結果はどう変化するだろうか。

写っている人達やその子孫 を探し出し、写真を返却することができるとして、その人達をどう探せばいいのか。どう連絡を取ればいいのか。 そこは日本か。またはジーロングか。欲しくないと言われたら…。

忘れられ、失われた遺品や記憶はそのままそっと放置されている方がよいのだろうか。放置せず、何かをする必要があるとすると、いったい何をすればいいのだろう。そしてそれらの 疑問を解く経過に自分だけでなく多くの人が関わったら、 どうなるだろう。

Mayu Kanamori March 2020
2020年3月金森マユ投函